吉野
生年月日とご出身地を教えてください。
門田氏
1941年8月2日島根県の津和野で生まれました。
吉野
小学校の頃の門田オーナーは、どういう事に熱中されていましたか?
門田氏
モノ作りが好きでした。
今みたいにおもちゃや遊び道具がない時代だったんで身近なものを使って色々遊び道具を作ってました。
板切れがあるとボートを作ったりしてました。皆と一緒に作るんですけど、皆は電池式のモーターで作る。
シェフ
私のボートは油を炊いてピストンでスクリューを回して動かすものを作ってました。
吉野
本格的なものですね。
門田氏
電池式のモーターは重いでしょ?私の場合は、軽くて早かったです。学校の先生もびっくりしてました。
手先の器用さでは学校の誰にも負けなかったです。
吉野
学校の科目は、どんな教科が得意でした?
門田氏
算数と理科です。
吉野
ボートをピストンで作るというところを見るとやはり理数系が得意だったんですね。
ところで、菓子職人になったキッカケはどんなものだったんですか?
門田氏
父の影響です。父は中国電力に勤めてまして、休みの日には、色々機械を作っていました。
私もその影響をうけましてね。手先の器用さとか・・・。
ニクロム線でパンを焼く機械を作って、それで一緒にパンを焼いて食べたんです。そういう事があって、自分でもっと旨いパンを作りたいと思って、それで、中学を卒業して山口の「木下パン」という大きな会社に就職しました。
吉野
洋菓子店ではなかったんですか?
門田氏
その頃は、ケーキ屋なんてなかったんです。
「木下パン」では、パンとケーキを作っていました。最初は、パンの方で働いていたんですが、ケーキの方の上司に認めてもらって「わしの弟子にするからケーキに来い」と言ってもらったんです。
吉野
仕事ぶりが評価されたんですね。
門田氏
朝6時から夕方6時が日勤で夕方から次の日の朝までが夜勤です。
それでケーキの仕事が終わったらパンの方の仕事をやらせてもらいました。
吉野
かなり意欲的に仕事を覚えられたんですね。
門田氏
「木下パン」に入る時から、独立しよう思っていましたから・・・。1年ぐらいパンで働いて、2年目からケーキでした。
その上司は、東京のホテルにいた方で、当時70代くらいでしたかね。
吉野
その方には、色々教えていただいたんですか?
門田氏
その頃は、今みたいに教えずに見て覚えないとダメでした。本気で覚えようと思わないと仕事は覚えないものです。
吉野
当時は、同期で何人の人が入社されたんですか?
門田氏
20人くらいです。すぐ辞めた人もいましたし、最後に残ったのは私ひとりだけでした。
吉野
厳しい職場だったんですね。
門田氏
今と比べるとかなり厳しかったですが、何の為に仕事してるか分からない人もいましたし、仕事だけやっていてもいけません。
覚えようという意欲がないと長続きしません。
吉野
当時のケーキと言えばバタークリームですか?
門田氏
はい。バタークリームのケーを作ってました。スポンジを焼いて、シュークリーム、クッキーも作っておりました。
ケーキは、ココアやチョコレートのバタークリームのケーキが人気がありましたね。
吉野
いかがでしたか、親方についての菓子職人の修行は?
門田氏
大変でしたけど、仕事を覚えるのが楽しかったですねぇ。親方のやることを見て覚えて、また見て覚えての繰り返しでした。
自分で早くケーキ作りを覚えて店を出したいという気持があったので、4年で洋菓子の全てを覚えました。
人から教えてもらったのではなくて、自分から覚えた。見て覚えるしかなかった。昔は、そんな時代です。教えられることは少なかったので見て覚えないといけなかったんです。
吉野
4年間で覚えたんですか?大変な努力でしたね。
門田氏
4年で会社を辞めて洋菓子店をするつもりでしたけど、上司から支店長をやってくれと言われたんです。
ですが、それを断って実家に戻りました。
吉野
出世のチャンスだったんでしょう?
門田氏
従業員数200人の中の菓子部門の責任者という立場になれるという事でしたが、早く店を出して独立したいという気持の方が強かったんです。
その為だけに、人より以上に頑張ってやってきたんです。
普通は4年では菓子は覚えられないです。自分からすすんでやらないと・・・。
やる気が一番です。やる気がなかったら何年いても覚えきれないです。
吉野
では、会社をお辞めになって独立ですか?
門田氏
はい、21歳の時に店を持ちました。その頃は、家族が津和野から島根の益田に引越ししてたので、益田で店を開きました。
吉野
当時、益田市には洋菓子店はなかったんですか?
門田氏
益田では、うちが最初の洋菓子店です。兄2人と私と3人でやりました。
吉野
お兄様たちと一緒にやられたんですか?
門田氏
兄たちは別の仕事をやっていたんですが、それを辞めて一緒にやりました。
兄たちにはパン作りを教えてパンを作ってもらい、ケーキは自分が作りました。
吉野
ご兄弟でお店をやられるのはご苦労が多かったんではないですか?
門田氏
昭和37年からやり始めて、けんかもあったし、意見の違いもありました。
最初の頃は、資金の問題もあって、大変でしたけど8年くらい一緒にして、その後は、それぞれ別の店をやるようになりました。兄たちは、パン屋で私が洋菓子店です。
吉野
では、門田オーナーが洋菓子のヨシヤという屋号で店をやりだしたのは、昭和45年とか46年ですか?
門田氏
うちの娘が生まれたのが、昭和46年でしたから・・・・その前年の昭和45年です。
吉野
昭和45年と言えば大阪で万博が開催された年ですね。
門田氏
そうです。ですから、洋菓子のヨシヤを始めて40年以上になります。益田で洋菓子店を出してからは50年近くになります。
吉野
洋菓子のヨシヤの店名は、門田オーナーの名前から採用されたんですか?
門田氏
そうです。私の名前が剛一(ヨシカズ)だから、ヨシヤという屋号にしました。
吉野
新しい出発の洋菓子のヨシヤは売れましたか?
門田氏
売れました。店をオープンする時にチラシをまいたんですが、お客さんがお皿を持って50メートルくらいずーっと並びました。
ビックリしました。ありがたいことです。本当に嬉しかったです。
吉野
当時は、生クリームはあったんですか?
門田氏
生クリームのケーキは、その時に出しました。
今の純生クリームではありませんが、不二製油という会社の生クリームで消費期限は今と変わらなかったですね。
吉野
バタークリームに慣れたお客様には、とまどいはなかったですか?
門田氏
それは、ありませんでした。生クリームを益田で最初に出したので、製造が追つかないほど忙しかったですね。
益田以外の所からも大勢来ていただきました。
吉野
40年以上、洋菓子店をやられて、大変だったことはありますか?
門田氏
そうですね・・・・。やはり、職人の問題がありましたね。「木下パン」でたくさんの職人を使ってきたので色んな人を見てきました。
自分から仕事をやろうとしない人や、やる気のない人には、どれだけ言ってもダメなんです。
特に洋菓子というものは1から10まで手作りなので難しい仕事ですから、菓子職人は朝早くから夜遅くまで大変です。
気が抜けない・・・・。当然、厳しく叱る場合もあって、なかなか職人が定着しなかったですね。
吉野
門田オーナーのスポンジ焼きには、定評がありますね。
門田氏
若い頃は、洋菓子の講習会があれば、どんなに忙しくても出てました。職人には、これで良いということは絶対にないです。
それでスポンジも自分しか焼けない物を出そうと、そりゃあ研究しました。夜も寝ずに焼きましたね。
スポンジは、洋菓子の基礎ですし、ケーキの土台になります。スポンジが美味しくなかったらケーキも美味しくない。このスポンジを焼く技術を徹底して研究してきました。
配合を変えたり、ミキサーの調整をしたり、窯の温度や焼き時間を細かく分けて何千回も試作しました。
普通は、しっとり焼けないのが本当です。それを、いかにふんわりしっとり焼き上げるかが積み重ねがないと焼けないのです。
ケーキに使うスポンジやカステラは、小麦粉、卵、砂糖だけ。マドレーヌは、バター、小麦粉、卵、砂糖だけですが、それぞれの美味しさがあるので、配合やミキサーのこね具合、窯の温度や時間で、その微妙な特長を出さないといけないのですが、そこが難しいところです。
吉野
全国の菓子職人が教えを請いに来られているそうですが・・・?
門田氏
自分の菓子作りもまだまだですから、そんなたいしたものじゃないですが、自分の分かることは教えます。
皆さん熱心に勉強されています。近くは、山口や広島、遠くは九州や神奈川から来られます。
吉野
講習会で実演されることもあるんですか?
門田氏
あります。でも、他の所は窯やミキサーが違うでしょ。
そこのミキサーの具合や窯の特長を知らないと、うまい具合には焼けないですから、前もって使わせてもらいます。
吉野
なるほど、微妙に違うんですね。それじゃあ、教えてもらった方がご自分の店ではうまく焼けない場合もありますよね。
門田氏
そこの窯のことを知らない事には、うまく教えることは難しいです。
後は、何度も試作して自分なりにやってみないと、こればっかりは分かりません。
ポイントは教えることはできてもミキサーや窯の条件が違うとまるで別のものができますから。そこからが、本当の勉強です。
私も長い時間をかけて勉強してきて、やっと満足できるものが焼けるようになったので、常に勉強です。

文字

吉野
菓子職人は、毎日が勉強ですね。
門田氏
思いついたことは、すぐに実行しないといけません。後でやろう、ではダメ。
教えてもらった事もすぐにやらないと、頭に入ってすぐに何度も繰り返しやらないとダメです。
すぐにやれば、自分で何か思いつくんです。そして、それをヒントにまたやるという事になってくると、だんだん自分の作りたいものに近づいてくるんです。
吉野
門田オーナーを抜きにして洋菓子のヨシヤは語れませんね。今後、お店としてどのような展開を考えておられるのですか?
門田氏
これからは、新しい感覚も必要になってきますので、娘もいずれは店を継ぐつもりでいますから、カステラやスポンジ焼き以外のことは、全て娘に任しとります。
これからの事は娘が考えていくでしょう。
吉野
お嬢さんは、小さい頃から菓子職人になりたいと思われていたんですか?
門田氏
洋菓子屋で生まれ育ってきたので、誰に言われる事もなく菓子の道を選びました。
大阪あべの辻製菓専門学校を出て、うちの店に入りました。娘に対して手取り足取り教えたということはありません。
私と同じように、言われなくても私の仕事をじっと見て仕事を覚えてきました。
吉野
いずれはカステラやスポンジも教えないといけないですね?
門田氏
洋菓子のヨシヤは、何といってもスポンジや生地の美味しなので、いつか娘に教えないといけないとは思ってます。
これは、見ているだけじゃあ分からないですから・・・こればっかりは教えないといけません。
家庭もあるし、子供もいますから、どこまでやれるか分かりませんが、教えるまでは、死ねません。
吉野
最近は、製菓学校も増え、パティシエやパティシエールを希望される若い人が増えてきているんですが、そういう方々にアドバイスはありますか?
門田氏
失敗を恐れない。失敗は絶対無駄にはならない、次につながっていく。
失敗のない成功は絶対ありえません。
私も失敗は数え切れないほどしてきました。それがあったから、今があると思っています。
吉野
失敗ってマイナスなことではないんですね?
門田氏
成功の反対は失敗じゃあないです。失敗は必要なもんです。
成功は、失敗がないとなりたちません。
失敗を重ねていって、成功になるので、成功する為には必ず失敗がないといけないと思ってます。
吉野
成功の反対は失敗ではないという言葉が味わいのある言葉ですね。
門田氏
分からずに失敗して、それでまたやってみて分かればいいんです。成功に一歩近づきますから。
特に若い頃は、分からないことばかりですから、失敗を怖がらずにお菓子作りの研究をして下さい。
成功の反対が失敗なら、成功するためには失敗したらいけないという事になるから、そんなものでは進歩はないです。
それと、何でもそうでしょうけど、菓子職人は、やる気しかない。教えてもらうんじゃなく、自分からどんどん進んで自分で覚えていかないといけないです。
研究熱心になること。思いついたことはすぐに実行する事です。
吉野
それは、門田オーナーの考え方の根本ですね。教えてもらうんじゃなく、自分で覚えるという事は・・・。
門田氏
それしかありません。人に教えてもらうばかりだと自分で何も考えないようになります。
いつでも聞けばいいという気持ちでは、覚えきれません。「教えてもらわなくてもいい。自分で見てでも覚えてやる」というやる気がないと、何年たっても菓子作りはうまくなれないです。
吉野
なるほど、人から教えられるばっかりだったら自分で考えなくなるんですね。
門田氏
教えてもらった通りにしかできないようになる。自分で工夫し考えようとしなくなる。
見ただけで全部は分かりません。分からないから、自分で考えてやってみて、失敗して、また見ての繰り返しでうまくなってくるんです。
吉野
「木下パン」の4年間は、もう菓子作りしかなかったんですね。
門田氏
朝から晩遅くまで修行でした。でも、それがイヤと思ったことはないんです。
早く独立したいという気持が強かったので、ひとつでも菓子作りを覚えると、それは嬉しかったものです。
もうひとつ覚えると、また面白くなるんです。
吉野
菓子職人にとって大事な事は何ですか?
門田氏
菓子の感性がない人間はどれだけ教えても出来ないものは出来ません。
吉野
それは、どういう事でしょう?
門田氏
東京にいるような有名なパティシエになろうと思ってもなれないように、そういう感性のない人は、なれないです。
脚光を浴びるお菓子を作るというのは、もう感性しかない。そういう感性を磨き込んでいかないとダメです。
生クリームを絞って仕上げが上手な感性がある人もいる。飴細工にかけては他の人より感性がある人もいる。
吉野
門田オーナーは、スポンジを焼く事に感性があるという事ですね。
門田氏
同じ菓子職人でもそれぞれ感性があるということです。才能と言ってもいいかもしれません。
そういう感性や才能は、なかなか伝える事が難しいと思います。
吉野
才能や感性がない人はダメなんですか?
門田氏
真面目に努力した人じゃないと感性は育たないんです。
吉野
・・・・と、いう事は努力の先にしか才能や感性は花開かないと言うことですか?

門田氏
努力もせずに自分で何も考えない人には感性は出てきません。
何度も何度も同じ事をやっているのに季節によっては同じようにスポンジが焼けません。それでも、自分で考え何度もやっていると、ある時にふと分かる時が来る。
それが、他の人とは違う感性というものです。
私は、誰にも負けないというものが感性と思っています。
菓子作りの全部に感性があるという人は、そうはいません。菓子職人の仕事と言っても色んな仕事がありますから得手不得手があるものですから、何かひとつでもこれというものが見つかるまでは、自分で努力しないといけないです。
吉野
努力しないと分からないものが感性ですね。
門田氏
最初から才能や感性がある人はいないです。
自分に才能とか感性があると思って努力もせずに自分で考えない人は何もできない、一人前の職人にはなれません。
吉野
最近は、すぐに結果を求めたがる風潮がありますね。
若い方の中で自分のセンスや才能で、すぐにでもパティシエになれるって思っている人がいるみたいですが・・・・。
門田氏
若い人の感覚は面白いものもありますし、流行を感じ取る力も私らから比べるとあると思いますけど、それは菓子職人の感性とは言いません。
若い人は自分の感覚だけでケーキを作ろうと思っていますが、それは菓子職人の仕事ではなくて、遊びの世界です。
趣味ならそれで良いでしょうけど、商売として菓子職人をやろうと思うなら基礎から徹底して勉強するべきです。
頭で分かろうとするよりも身体で覚えないと職人にはなれません。本人の感性や才能が活かせるのは、その積み重ねのずっと後です。
吉野
なるほど。良く分かります。今日は、貴重なお話をありがとうございました。
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